想い出シリーズ第4段です。

ブラジル出張から帰国3ヶ月後、今度は2ヶ月の予定でシンガポールの子会社へ応援で

出張しました。

こちらも予定していた仕事が早く終わり、35日になりました。10/10 ~ 11/13 でした。

行きは日本航空のビジネスクラスで、帰りはシンガポール航空(SQ)のビジネスクラスでした。

ビジネスクラスを利用して特に印象に残っているのは、SQ のビジネスクラスでした。

ジャンボジェット機の2階がビジネスクラスになっていて、CA さんに Mr,◯◯さん と名前で

呼ばれたことです。航空券は帰りが open で 292300円でした。

Boarding Pass

夕方、チャンギ国際空港に到着し、最初の宿泊だけセンチュリーパークシェラトンホテルの

高層階ルームでした。いまだにこのホテル以上の所に泊まったことがありません。

現在のシェラトンタワーズ  シンガポール(五つ星)と思う。

センチュリーパークシェラトン

2日目からの11泊はスコット通りにある HOTEL  ASIA のツインでした。

ニュートンサーカスの近くだった。地図で捜したが無くなっていました。

HOTEL ASIA

そして、13日目からはオーチャード通りの TANGS 裏のマウント・エリザベス病院近くに

あった下宿です。

TANGS

下宿は、FOO さんと言う老婦人のマンションで、他にも日本人が二人下宿していましたが、

一度も顔を見たことがなかった。

FOO さんは80歳を超えたと思われる方で、聞き取りやすいクイーンズイングリッシュで話し

娘さんがオーストラリアに住んでいると言ってました。

英語を教えてあげると言ってくれましたが、毎日遅く帰り、休日は出かけてばかりで

ほとんど顔をあわせることがありませんでした。

シンガポールは1年中気温が30度を超えるので、当然ながら湯船があるバスルームは

ありません。シャワーは、頭上に20リッターほどのタンクがあって、水をヒーターで

温める方式です。よって、誰かが使用したあとは、水が温まるまで使用できませんでした。

共用の冷蔵庫に個人の物を入れる場合は、間違わないように名前を記入してました。

帰国の時に餞別として胡蝶蘭の花束を戴きましたが、持って帰るのに少し難儀しました。

帰国後2週間ほど美しく咲いていました。

FOOさんHOUSE

通勤に使った MRT(地下鉄)の路線図です。当時はこれだけしか有りませんでした。

N3 Orchard から W6 Commonwealth までの通勤でした。

チケットは、10ダラーチケットと言うプリペイドカードを購入しました。

残高がどんなに少なくても、最後の乗車でどこでも降りられました。

最初のうちは、車内アナウンスに集中して乗り越ししないように必死でした。

MRT

現在の MRT 路線図がこれです。32年経過してシンガポール全土に広がっていました。

駅の記号表示も変わっていました。
MRT 路線図

1988年のシンガポールは、3日もあれば観光地の全部を見て回れる所でしたが、

今はマリーナベイサンズとかすごいですね。

休日に観光で行ったセントーサ島のビーチです。

シンガポールに水の綺麗なビーチはありません。

SENTOSA

ジュロンバードパークです。赴任家族の娘ちゃんがなついてくれました。

この子達ももう40歳近くになってるのですね。

ジュロンバードパーク

ジョホール水道です。向こうはマレーシアです。

ジョホール水道

赴任者の子供が通っている日本人学校の運動会を観に行きました。

日本人学校運動会

休日に MRT に乗ってぶらぶらしました。City Hall 駅近くの協会でミサの真っ最中でした。

真っ白い建物が背景の白で見えにくくなっています。

City の協会

マーライオンパークの近くでタクシーの運ちゃんがどこへ行くんやと声を掛けてきたから

マーライオンパークと言ったら、すぐそこやから歩いて行けと言われました。

1988年のマーライオンの背後には、高層ビルはたったの5棟しかなかったのです。

マーライオンパーク1

思っていたよりショボイ公園でした。今はもっと大きいマーライオンになっています。

マーライオンパーク2

有名なラッフルズホテル前のラッフルズ像です。中には入りませんでした。

ラッフルズ

仕事が終わり、オーチャードまで帰ってきたら毎日のように伊勢丹の中にある日本料理店で

寿司とラーメンのセットを食べていました。

会社での昼食は、近くの屋台でチキンライスを注文するのが定番でした。

ある日、屋台が集中しているニュートンサーカスまで歩いて行き、食事をしました。

数あるテーブルが満員状態になり、横で白人の数名が空きを待っていると、食事代金を

支払っていないのに食べ終わっているから帰れと言われました。

結局、食い逃げみたいな形になってしまいました。

帰国が近づいたある日、お土産を買いに TANGS の近くで物色していたら男性から

精巧な偽物があるがどうですかと声を掛けられた。見るだけでもいいからと言うので

ついていったら店の奥の別室に案内された。何も買わずに出られたが、ちょっと無謀でした。

シンガポールの面積は淡路島より少し大きい広さです、

よって、車の数を制限する必要があるので、大衆車のカローラが高級車並みの価格でした。

市内中心部への乗り入れはナンバープレート末尾の奇数と偶数で入れる日が分けられていました。

今でもそうなのか分かりません。

滞在中、35日間で7回ゴルフをしました。それぞれ別コースです。

センバワンカントリークラブは軍の演習場の中にあり、パスポートを預けてプレーした。

ティーグラウンドの近くで大砲を撃っていました。

11月に入ると、オーチャード通りがクリスマスの飾り付けとなりました。

当初の予定なら12月の初旬までの滞在で、事務所の女性達は慰安旅行で行くインドネシアの

バタム島に一緒に行こうと言ってくれていたが行けずに残念でした。

赴任者の家族はセキュリィティーが厳重な共用プール付きのコンドミニアムに住んでいた。

日本では味わえない暮らしですが、これぐらいの待遇は必要でしょう。

シンガポールの紙幣とコインは合計で37ドル86セント残っていました。

当時のレートは1ドル=65円だったので、2460円でした。

現在のレートは1ドル=79円なので、2990円になります。

シンガポール紙幣

20ドル紙幣の裏はシンガポール航空の音速ジェット機のコンコルドでした。

コインは左から、1ドル・50セント・20セント・10セント・5セント・1セントです。

1ドル硬貨は八角形で、穴を開けてチェーンを付けたらネックレスになりそうです。

シンガポールのコイン

まだまだ面白い経験をしましたが、これでオシマイとします。

次は中国での旅の話をします。